「ASIOS」―超常現象を懐疑的に調査する会―のメンバーによるブログ。

2012年10月22日

元サイコップ会長、ポール・カーツ死去

 本城です。
 昨日の10月21日に、アメリカの哲学者で懐疑論者のポール・カーツが86歳で亡くなりました。(記事)

 彼はアメリカの懐疑団体サイコップやCFIの初代会長をはじめ、アメリカ・ヒューマニズム協会の会長、『ヒューマニスト』誌の編集長、懐疑的な書籍を数多く出版する出版社プロメテウス・ブックスを設立するなど、近代の懐疑主義の歴史において、非常に大きな役割を果たした人物でした。

 2000年に『Skeptical Inquirer』誌が行った20世紀の懐疑論者10傑のアンケートでは、カール・セーガンに続く4位にランクインしていたほどです。
 ただ日本では翻訳本が一冊もなく、超常現象の調査者としての活動も実績もあまりなかったためか、日本の懐疑論者の間では比較的地味な存在でした。

 しかし、哲学者として世俗的ヒューマニズムの普及に貢献した役割は大きなものです。また個人でバラバラに活動していた懐疑論者たちをまとめあげ、各種団体を設立し、情報発信の場を提供するなど、そのマネージメント能力も素晴らしいものがありました。

 とはいえサイコップ設立当初は、理想は立派だが中身が伴わない否定派集団、などの批判をよく受けて槍玉にあげられることもしばしばで、ときには訴訟沙汰にまでなることもあったようです。

 また晩年は、行きすぎた無神論原理主義の台頭にも頭を悩ませていたといいます。若手の中には、宗教を信じていること自体がけしからん、と考えている一派も出てきて、彼らが圧力団体のように振る舞う機会があることに危機感を抱いていたと聞きます。

 おそらく本人としては、まだやり残したことがあったのでしょう。志半ばで去ることに無念な気持ちがあったかもしれません。けれどもカーツがいなければ、海外での懐疑主義の活動は現在ほどの発展がみられなかったはずです。おそらくASIOSもできなかったでしょう。

 そういう意味でもカーツには感謝しています。ありがとう。そして彼の死に、心から哀悼の意を表します。
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2012年01月27日

エミリー・ローザ

 本城です。
 エミリー・ローザ.jpg今回は久しぶりに懐疑論者の紹介をします。エミリー・ローザです。エミリーは当時9歳だった1996年に、「セラピューティック・タッチ」を検証したことで有名になった少女です。

 ここでいうセラピューティック・タッチとは、いわゆる手かざし療法のこと。ニューヨーク大学看護学部の名誉教授ドロレス・クリーガーが体系化したヒーリングの一種です。セラピューティック・タッチを習得したヒーラーは、患者の身体から少し離れたところに手をかざすと「エネルギーの場」を感じ取ることができ、その乱れを整えることで治療ができるといいます。

 本当でしょうか? これに興味を持ったのがエミリー・ローザでした。エミリーが当時通っていたコロラド州の小学校では「サイエンス・フェスティバル」という自由研究を発表する機会があり、彼女はその題材となるものを探していたところでした。

 ちょうどいい題材に出会ったエミリーは、セラピューティック・タッチの大前提となる「エネルギーの場」というものが本当に実在するのか検証してみることにしました。

 検証のための実験に集まったのはコロラド州ボールダーで開業する21人のヒーラーたち。エミリーによれば、クリーガーにも参加を呼びかけたそうですが時間がないとして断られたそうです。
※ヒーラーは懐疑論者の検証を嫌うため、この実験に21人も集まったのはすごいこと。子どもだからと甘くみられていたのかもしれません。96年にジェイムズ・ランディがフィラデルフィアの懐疑団体と協力してセラピューティック・タッチの検証実験を企画した際は、60以上もの看護師団体や個人に検証を申し込んだにもかかわらず、返答があったのはわずか一人。このときは742,000ドル(約6000万円)の賞金を懸けて、その一人、カリフォルニアの開業医ナンシー・ウッズが挑戦しました。しかし結果はクリアできずに終わっています。

 さて、エミリーの実験は次のような手順で行われました。(材料費はわずか10ドル)
(1)エミリーがヒーラーと1対1で向かい合って座る。
(2)テーブルにはダンボールで作った衝立を用意。衝立にはヒーラーの左右の腕を通せるように2つの穴が開いている。また穴から向こう側が見えないように布が被せられるようになっている。
(3)ヒーラーは穴に手を通し、手のひらを上に向ける。
(4)エミリーはヒーラーの左右どちらかの手の少し離れたところに手をかざす。左右どちらにするかは毎回コイン投げをして決める。
(5)ヒーラーは左右どちらにエミリーの手があるのか、「エネルギーの場」を感じ取って当てる。
(6)実験の一部始終はビデオで録画する。

 実験の様子の一部は、以下の動画の1分34秒あたりから見られます。



 実験前のヒーラーたちは自信満々でした。当然です。エネルギーの場を感じ取るのは基本中の基本、セラピューティック・タッチの大前提なのですから。
 テストは全部で280回行われました。ところが、そのうち当てられたのはわずか123回。正答率は44パーセント。偶然でも50パーセント当たるはずの正答率を下回る残念な結果に終わりました。

 エミリーはこの実験の結果を医師にも協力してもらいながら論文にまとめ、『アメリカ医学協会ジャーナル』に投稿。1998年に掲載されました(実際の論文)。当時11歳での論文掲載は史上最年少。アメリカで最も若い科学者が誕生したとして、大きな話題を呼びました。

 ちなみにそのジャーナルが出された日は4月1日だったため、クリーガーは「それがエイプリル・フールの冗談であることを希望する」とコメントしています。残念ながら実際は冗談などではなく、本当でしたけれども。

 さてエミリーはその後、コロラド大学に進学し、心理学を専攻。現在は大学院で学んでいるようです。以下は2008年の映像ですが、大人になったエミリーがご覧になれます。30秒から登場するのは、論文の共同執筆者の一人で、インチキ医療批判サイト「Quackwatch」の運営者スティーブン・バレットです。1分23秒からはドロレス・クリーガーも登場します。

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2010年05月25日

マーチン・ガードナー逝去

 本城です。
 すでに各所でニュースになっていますが、マーチン・ガードナーが22日に95歳で亡くなりました。私としては、先日、アメリカの懐疑団体CSIが発行する雑誌『Skeptical Inquirer』の最新号にガードナーの記事が載っていたことを知り、Twitterにてまだまだ現役なんだね、もっと長生きしそうだね、と話題にしていたところでした。

 そのしばらく後にこの訃報です。年齢からすればそれほど驚くべきことではないのかと思います。ところが私の場合、まだ元気だと思っていた矢先の出来事でしたので、まるで若い人が突然亡くなったときのような強い驚きの感覚を覚えました。

 『Skeptical Inquirer』誌の編集者、ケンドリック・フレーザーの追悼記事によれば、亡くなる10日前にガードナーから雑誌掲載用の原稿が送られてきたそうです。最後まで現役だったんですね。(遺稿は9月・10月号にガードナーの追悼特集記事と共に掲載されるとのこと)

○その他の主な懐疑論者による追悼記事
リチャード・ドーキンス
「Martin Gardner: Rest in peace, good old man」

ジェイムズ・ランディ
「MY WORLD IS A LITTLE DARKER…」
「For Those Who Have Inquired...」

フィリップ・プレイト
「Martin Gardner, 1914 – 2010」

マイケル・シャーマー
「Martin Gardner, 1914-2010」

 このうちランディはマジシャン仲間でもありましたから、特に仲が良かったようです。70年代前半にはガードナーと共に「RSEP」(Resources for the Scientific Evaluation of the Paranormal)という超常現象を調査する少人数のグループを設立し、それがやがてCSICOP(現CSI)へと発展する際の核になっています。

 CSIが自由形式でアンケートした「20世紀の傑出した懐疑論者十傑」でも、1位がランディで、2位に選ばれたのがガードナーでした。海外での人気と影響力の強さが伺えます。

 ちなみにガードナーの懐疑的な本といえば、日本では『奇妙な論理』や『インチキ科学の解読法』が比較的知られていますが、それ以外でも『マーチン・ガードナー・マジックの全て』(東京堂出版)というマジック本もあります。

 この本はマジシャンとしてのガードナーを集大成したもので、彼の考案したマジックを多数紹介。中にはユリ・ゲラーが使うトリックや、アメリカの超能力者養成学校で実際に使われていた透視能力テストの解説なども載っていて参考になります。

 今回、久しぶりに読み返しましたが、やはりガードナーが書く記事は面白いと再認識。惜しい方を亡くしました。謹んで哀悼の意を表します。
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2009年03月23日

レイ・ハイマン

本城です。
今回の記事ではアメリカの懐疑論者、レイ・ハイマンを紹介します。
まずは略歴から。

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レイ・ハイマン(Ray Hyman/1928年〜)

オレゴン大学の心理学者。コールド・リーディングのスペシャリスト。アメリカの懐疑団体サイコップ主催のアンケート投票では、「20世紀の傑出した懐疑論者10傑」の第5位。

ボストン大学の学生時代にはマジシャンとしても活動。1970年代初期になると、ジェイムズ・ランディマルセロ・トルッツィ、マーチン・ガードナーらと一緒に、「RSEP」(Resources for the Scientific Evaluation of the Paranormal)という超常現象の調査グループを結成。

1976年にはサイコップの創設メンバーとして同会に参加。毎年のように政府機関から依頼のある、霊能者の透視や予知の真偽についても調査している。しかし50年近く調査を続けているが、未だに本物と言える者には出会ったことがないという。

1992年からは、毎年8月にオレゴン州で、ジュニア・スケプティック関連のキャンプを主催している。

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レイ・ハイマンというと、訳書がひとつもないので日本では知名度が低いのですが、海外では特に超能力関連を得意とする懐疑論者として有名です。

また仲間の懐疑論者に対しても、異論があればハッキリ意見を述べることでも知られています。たとえば、サイコップが最初に行なった占星術の反証実験では、その手法に問題があるとして批判の先頭に立ちましたし、ランディのサイキック・チャレンジに対しても懐疑論者の中では数少ない批判的意見の持ち主です。

しかしそんなハイマンも、昔はガチのビリーバー(信奉者)でした。若い頃、手相の占い師をしていたとき、何百人もの客がハイマンの占いはよく当たると証言していたため、自分には超常的な力があると思い込んでしまったそうです。

ところがあるとき、彼は突拍子もないことを思いつきます。「手相から読み取ったことと正反対のことを言ってみたらどうなるんだろう?」と。

ハイマンは思い切ってそれを実行したところ、彼の信者はそれまでと全く変わらず熱狂的だったそうです。そして、これをきっかけに、ハイマンはこの種のものに懐疑的になったといいます。

自分には超常的な力があると思い込んでいる状況下で、もしかしたらと、自分の能力に疑いの目を向けるというのはなかなかできることではありませんね。何の力もない勘違いだと思い知らされる可能性があるわけですから。

しかしそれでも疑い、結果を自分に都合の良いように解釈する自己欺瞞にも陥らずに受け入れ、軌道修正することができたわけですから大したものです。

おそらく若い頃のハイマンは、誤りを認めることは恥ではなく、むしろ誤りから目をそらして永遠に誤り続けるほうが恥だということに気付いたのだと思います。
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2009年02月16日

ジェイムズ・ランディ

本城です。
今回は、これまた斯界の重要人物であるジェイムズ・ランディを紹介します。まずは略歴をどうぞ。

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randi2.jpgジェイムズ・ランディ(James Randi/1928年〜)
 カナダ・トロント生まれ。1987年、アメリカに帰化。現在はフロリダ在住。元プロ・マジシャン。世界一有名な懐疑論者。

 子どもの頃に大事故を起こし、2度と歩くことはできないと医者に告げられたものの、その後、奇跡的に復活。治療期間中に読んだマジックの本をキッカケにマジシャンを目指す。

 17歳のときに高校を中退してプロマジシャンの道へ。脱出マジックを中心に活躍。1956年に、密閉された棺桶の中に入ったまま水中に沈められ、どれだけ長い時間呼吸を維持できるか挑戦し、ハリー・フーディーニの持つ1時間31分の記録を破る1時間44分のギネス記録をつくる。
 60年代中頃からはテレビのマジック番組で主役を務めるようになり、世界公演も行う。この頃から「The Amazing(驚異の)ランディ」と呼ばれるようになる。

 1972年になると当時世界中で超能力者として騒がれていたユリ・ゲラーに挑戦を開始。76にはアメリカの懐疑団体「サイコップ」の創立に関わり、以降は中心メンバーとして活躍。

 1986年にマッカーサー財団の「天才賞」を受賞し3000万円の賞金を獲得。他にもマジシャン、懐疑論者としての受賞歴は多数。

 1990年には日本の『DAYS JAPAN』誌に載ったランディのインタビュー記事が名誉毀損にあたるとして、宿敵のユリ・ゲラーが東京地裁に提訴。アメリカ在住のランディは出廷しなかったため、93年に50万円の支払いを命じられる。(ただし結局は支払わないことになった。また訴訟費用の95%はゲラーが負担することに)

 ゲラーは91年にもランディに対し約15億円の損害賠償を求めて裁判を起こす。サイコップに対しても裁判を起こしたが95年に訴えは退けられ、ゲラーは裁判費用など約1200万円の支払いを命じられた。

 訴訟を避けるために、サイコップの幹部はランディに発言を慎むように求めるがランディは拒否。サイコップを脱退。しかし協力関係は維持していて、現在でもたびたび会誌に記事を寄稿。

 60歳でプロ・マジシャンを引退してからは懐疑論者としての活動に集中。ピーター・ポポフという信仰治療を行う人気テレビ伝道師のイカサマ暴露や、超能力研究者はマジックと超能力の区別もつかないことを暴いた「プロジェクト・アルファ」、大衆やマスコミがいかに騙されやすいかを示した「カルロス事件」など、大がかりで派手な計画を数多く実行している。

 96年には、国際天文学連合によって小惑星に「(Asteroid)3163 Randi」と命名された。
 同じ年、フロリダにジェイムズ ・ランディ教育財団を設立。自分の目の前で超能力を示すことができれば、1億円をくれてやるという太っ腹な企画を行っており、大きな注目を集めている。(この企画は2010年3月6日に終了予定)

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 とりあえず、こんなところです。ランディといえば、サイコップ主催のアンケート投票で、「20世紀の傑出した懐疑論者10傑」の第1位に選ばれるくらいの人ですから、欧米の懐疑論者の間では抜群の知名度があります。(日本では翻訳本が一冊しかなく、海外に比べると劣りますが、それでも過去に何度かテレビ出演しているので、ご存じの方もいると思います)

 この人はとにかく行動力抜群で、やることは派手、タイプ的にはフーディーニと似ていますね。
 海外ではランディみたいな懐疑論者は「デバンカー」(debunker/正体暴露者)と呼ばれるのですが、これは蔑称でもあるのでランディ本人はそのように呼ばれることを嫌っているようです。マサチューセッツ工科大学での講演では、自らは「Investigator」(インヴェスティゲーター/調査者)であると語っています。

 ところが調査者として重要になる情報の精度はというと、これが意外にもけっこうミスが多いんです(^^;)。また、カール・セーガン曰く「怒れる男」というくらいの人なので、霊能力者たちには敵意を全面に出すこともありますし、実際、イカサマ師に対しては必要以上に叩きのめそうとする傾向があります。

 ただし、そういったマイナス面もありながら、それを補って余りある抜群の実績がランディにはあるんですね。だからあえて例えるなら、「三振の多いホームランバッター」みないなイメージかもしれません。

 可能ならここで彼がやってきたことを個別に紹介したいところですが、長くなりすぎてしまうので別の機会に紹介したいと思います。
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2009年01月21日

ハリー・フーディーニ

本城です。
今回は私の好きな人物の一人、ハリー・フーディーニを紹介したいと思います。

houdini_photo.jpg彼は1900年頃〜1920年台にかけて活躍したアメリカの有名なマジシャンで、後年はスピリチュアリスト(心霊主義者)の詐欺行為を暴き続けたことでも有名です。

マジシャンとしての人気・知名度はおそらく歴代No.1。アメリカの『Inside Magic』誌が2004年に行った人気投票では、「伝説のマジシャン」部門で見事に1位。フーディーニが得意としていたマジシャンと助手が一瞬で入れ替わる「メタモルフォーゼ」も、「ベスト・マジック」部門で1位となっています。

また、この投票ではエントリーされませんでしたが、フーディーニが最も得意としていた脱出技も有名です。彼の場合、「正常に機能する手錠であればどんなものでも開けてみせる」と豪語し、実際、観客が持参してきた数々の手錠を自分の手にかけ、ことごとく外してみせました。

また警察に挑戦した際には、フーディーニの主張(手錠からの脱出)にキレた警官たちが、愚かさをわからせるために柱を抱え後ろ手にした状態で手錠をし、すぐに部屋を出ようとすると誰かが彼らの肩を叩きます。振り返るとそこには手錠を外して微笑んでいるフーディーニが。あまりの早業にその警官たちは驚愕しきりだったといいます。

またヨーロッパで公演するときは、必ずその国で実際に使われている監獄からの脱出を行っては新聞の一面で取り上げられていました。

そうして不可能からの脱出を続けるうちに、彼はいつしか「脱出王」と呼ばれるようになり、一部のスピリチュアリストたちからは「監獄や手錠からの脱出はフーディーニが霊媒だったからできたのだ」と言われるまでになります。

実際、スピリチュアリストとして有名なアーサー・コナン・ドイルは、その著書『コナン・ドイルの心霊ミステリー』の第1章で、大真面目に「フーディーニ=霊媒」説を展開しています。

しかし、こういったスピリチュアリストたちの反応に対して、当のフーディーニは冷ややかです。
「マジックが人間による技であることを全然教わったことがないのだから、ドイルを騙して信頼を勝ち取るなんて赤子の手をひねるように簡単なことだ」


― ニセ霊媒師に対して ―

フーディーニが書き残した手紙などによると、彼は死後の生命というものを信じていたようです。しかし、人を騙して食いものにするニセ霊媒師に対しては強い怒りを感じていました。

当時のアメリカではスピリチュアリズム(心霊主義)が大流行しており、いたるところで降霊会が開催されていました。フーディーニもそういった流れの中で1920年頃から心霊主義に深く関わるようになっていきます。

しかし本音では死後の生命を信じていても、彼の前に現れるのはニセ霊媒師ばかり。彼は信じているからインチキを見逃すのではなく、それを徹底的に暴いてニセ霊媒師と闘う道を選びます。

フーディーニが暴いた霊媒師は数百人にのぼると言われ、当然のことながら霊媒師たちからは目の敵にされます。全盛期の頃はアメリカ全土だけでなく、フランスのパリでも抗議集会が開かれたそうです。さらに裁判では総計100万ドル以上にのぼる訴訟の標的になり、多くの霊媒師が呪いをかけていたといいますから、その激烈ぶりがうかがえます。

しかしフーディーニ本人は、「3度の飯より喧嘩好き」と言われるくらいの人。呪いをかけられて怖がるタイプではなく、むしろ闘志に火がつくタイプなんですね。裁判でも徹底的に闘い、多くの霊媒を刑務所送りにしました。

そうしたことから、スピリチュアリストの中には、フーディーニのことを頭ごなしに否定する安直な否定派のように思っている人もいるようですが、実際にはそんなことありません。

彼は研究熱心で、対象についての事前調査を怠らず、証拠をもとに批判を行うタイプ。日本の某タレント教授とは大違いです。
フーディーニはアメリカ全土の霊媒師を相手にするので、私的に調査員を組織していました。自分が行けない場合は、部下の調査員に事前調査をさせていたんです。

もちろん、可能な場合は自ら調査に出向きます。時には変装もし、近視を装ってメガネをかける際には、霊媒の細かな動きもよく見えるように拡大レンズを仕込んでいたといいます。

また自信過剰なマジシャンが陥りがちな、「マジシャンの経験と知識があれば、霊媒師に騙されることはない」という幻想も抱いてませんでした。

「自らの目的のためには財産や品位さえもものともしないニセ霊媒師の技を、すべて見抜いたり再現したりするなんて不可能だ。また霊媒が行う術の多くは、その状況や瞬間にとっさの直感でひらめくものなので、彼ら自身だって再現することはできない」と語っています。

フーディーニというと、その派手なデバンキングと激烈ぶりが強調されがちですが、実は隠れた工夫や冷静さも忘れない人だったようです。こういったところは、現在でも海外の有名な懐疑論者から目標とされる理由のひとつなのかもしれません。

私が好きなのも、彼の有言実行する揺るぎない行動力と、派手さの裏にある地道な調査や冷静さだったりします。
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2008年07月01日

懐疑論者紹介 - マルセロ・トルッツィ -

本城です。

今回は海外の懐疑論者を紹介します。第一回目はマルセロ・トルッツィ。
・・・といっても日本ではほとんど知名度がないため、ご存知ない方が多いですよね。まずは簡単な略歴から紹介します。

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マルセロ・トルッツィ (Marcello Truzzi)
1936年、デンマーク生まれ。東ミシガン大学の社会学教授。アマチュア・マジシャン。
サーカス団員の一家に生まれ、1940年にアメリカに移住。プロマジシャンだった父親の影響で子どもの頃からマジックに親しみ、10代の頃はサーカスの手伝いなどをしていた。

その後、社会学に興味を持ち、研究者としての道を歩み始めると、子どもの頃から興味を持っていた超常現象の調査も始める。

1976年にはアメリカの懐疑主義団体「CSICOP」の創設メンバーとして同会に参加。初代副会長、会誌『ザ・ゼテティック』(現『スケプティカル・インクワイアラー』)の編集長を務める。

しかし77年になるとCSICOPの活動方針に不満を示し脱退。新しく『ザ・ゼテティック・スカラー』誌を刊行。81年には「トルッツィ科学的異常研究センター」(CSAR)を設立。

「ニセ懐疑主義」という言葉をつくり、さらに調査する前に判断を下そうとする者を「ニセ懐疑論者」と呼んで注意を促した。自らは「スケプティック/Skeptic」(懐疑論者)に替わる立場として、「ゼテティック/Zetetic」(探求者)というラベルを使用。

海外では、「ドライ」な立場の懐疑論者の対比として、「ウェット」な立場の懐疑論者の代表として挙げられることがある。

2003年に67歳で逝去。

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と、こんなところです。
ご覧になってもらえばわかるとおり、トルッツィはCSICOP脱退後はアメリカの懐疑主義の主流からは外れていたので、日本の懐疑論者の間での知名度は低いのかもしれません。

しかし私は、彼の主張や理念には共感するところが多く、日本でももっと知られるべき人物だと考えているので今回紹介している次第です。

トルッツィの特徴としては、上でも触れたドライとウェットの対比がわかりやすいと思うので紹介しましょう。

★懐疑論者のスタンス/「ドライ」「ウェット」(sci.skeptic FAQより)

【ドライ】
肯定派をまじめに相手にする理由はない。ちょっとした常識があればそのテのアイデアが完全に馬鹿げていることは分かる。
「彼らのアイデアを理解する」ために時間を費やすことや、虚偽を暴くのに必要な程度以上に「彼らの証拠を調べる」ことは時間を浪費するだけだ。
さらにそういう振る舞いは彼らに対面を与える。我々が真剣に取り扱ったら他の人も同じ事をするだろう。我々は彼らのアイデアがどんな馬鹿なことか他の人が分かるように冷やかさなければならない。「抱腹絶倒一回は三段論法千回の価値がある」のだ。

【ウェット】
彼らの言うことに丁寧に耳を傾けないで攻撃すれば、二つの危険を侵すことになる。

1. 本当に正しい人を見失ってしまう。
2. 彼らに我々を攻撃する武器を与えてしまう。人身攻撃や感情的な批判は我々を彼らと同じレベルに落としてしまう。我々が本当に理性的で科学的ならば、彼らに証拠を請求した後で良く考えた見解を述べることが要求される。


海外では大きく分けて上の二つのスタンスがあり、「ドライ」の代表はマーチン・ガードナー、「ウェット」の代表はトルッツィだといわれています。(ちなみに、現在の私のスタンスは「ウェット」のほうに近く、ASIOSという団体としてのスタンスもこちらに近いものです)

トルッツィは、超常現象に関する主張をすべて嘲笑し、より深い調査をしない傾向にあるドライな立場に批判的でした。そして、本当の懐疑論者が目指すべきスタンスとして「ゼテティック」というラベルを考案しました。

さらに彼は、「まじめな調査もせずに疑似科学のレッテルを貼って、多くの調査領域を前もって決めつける」立場を「ニセ懐疑主義」とし、そのような行動をとる者を「ニセ懐疑論者」と呼んで注意を促しています。

しかし海外の懐疑論者の間では、トルッツィは肯定派をまじめに扱ったり、調査後の判断が慎重だったことなどから、それほど高い評価は受けていないようです。

以下は、トルッツィが周囲からどう見られているかよくわかる本人のコメントです。

「超常現象を支持する友人たちからは、私はガチガチの懐疑派と見られています。しかしマーチン・ガードナー氏のような徹底した暴露家たちからは、私は優柔不断で単純とみなされているのです。つまり両側から責められているわけです」


これなどは、中立であろう、公正であろうとしたトルッツィらしい責められ方だなと思います。

最後になりますが、トルッツィの名言を紹介しておきましょう。
「並外れた主張には、並外れた証拠が必要となる」です。今ではカール・セーガンの名言として知られていますが、正確にはトルッツィが最初に自著で書き、それをセーガンが広めたものです。
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